BAD BRAIN

自作の音楽とかを出すブログ

え!?このゲームのストーリー違うじゃん!!

っていうのが本当になるといいなぁ!

昔から考えてたことなんですけど、今までゲームしてきてそんなことは一度も起きませんでしたね。

もしアイデアが実現できるなら絶対面白いと思うわ。たぶん流行らないけど。

 

最近メタゲームが自分の中でブームなんですが、自分なりに第四の壁を追求すればするほど隔絶を感じますね。

この手のゲームって所詮は初見殺しっつーか、一度やると終わりじゃないですか。後でプレイして気付くことなんかはあっても、シナリオ自体が変わったわけじゃないし。

まぁ永遠に遊べるゲームなんて無いとは思いますが、メタゲームっていうなら、とことんリアルに肉薄していてほしいというか。

 

ゲームの世界に居るキャラクターたちには常にプレイヤーの予想を裏切ってほしい。

ゲームシステムもぶっ壊してほしいし、シナリオも起動するたびに改変しちゃって良いんじゃね?と思います。

メタフィクションの作品って、まるで物語の世界が現実に平行して存在してるのかと錯覚してしまうかのようなリアリティが一番の魅力だと思うんですよ。

だからこそ作品世界はより魅力的だし、キャラが自分のことを見透かしたように話しかけてくるなんて、最高じゃないすか?ナレーター、女、花、骨。おかげでみんな好きですよ。

 

だから、終わってほしくない。ずっと壁に抗い続けてほしい。ただの人形であってほしくない。

 

メタ作品の世界を創造した人って、自分自身から見たその作品はどう捉えるんですかね。

浅はかな僕は影響されてメタ作品を作ろうと奮起したんですが、実際どの媒体で作ろうとしても虚しかった。

もともと自分が満足するために作り始めたんですが、こういう作品ってどう考えても外向きに発信するものですね。

いくら構想を練っても、モチベーションが上がらないんですよ。ゲームも小説も、キャラクターを動かしてシナリオに落とし込む度に「人形だな」って考えてしまう。

どんな演出も、どんなセリフも、結局は自分の考えたもの。当たり前だけど驚くわけない。バカバカしくなって、結局なんも出来なかったです。

まぁ作りかけのゲームとかあるんですが、もうシナリオを考える気が起きないっす。絶対に自分の求めてる作品にならない。

 

制作者からすれば、「作り物の世界」としてしか認識できない。

他人がプレイすれば「実在する世界」と錯覚しても、創造者は世界を作った時の感覚をぼんやりと覚えているし、どうやっても「プレイヤー」とは視点が違う。

これがアクションゲームなら、プレイヤーと同じ視点に居ることも出来たかもしれない。純粋に一人のゲーマーとして、他のゲーマーに混じってゲームを楽しめたかもしれない。

ゲーム性に重きを置くなら、そのゲーム性を制作者自身が面白いと思い続ける限り、いつでも『プレイヤー』の側に行けると思います。

でも、アドベンチャーゲームでは違います。作った本人にとっては予定調和の連続でしかなく、シナリオ自体にはなんの新鮮味もありません。

このシーンは頑張った。この演出は良い出来だ。このキャラの設定は苦労した。

完全に神様の目線です。精巧に作り込めば作り込むほど、「まさか!?」なんて展開は起きなくなるでしょう。

キャラの意志=制作者の意志ならば、それを自らでプレイしたところで、おままごとをやっているようなもの。

だから、作り手にとってはキャラクターは人形で、世界は舞台になってしまう。

 

受け取り手に対してのメタ、媒体に対してのメタはあれど、制作者に対してのメタは存在しません。

メタフィクショナルにとっての(おそらく)一番の壁です。

例えば、壁の克服のためにAさんの作品にBさんが手を加えたら、それはもうBさんの作品になる。

作品世界に現実からの力が加わり続ける限り、壁を超えることが出来ません。

 

では、どうすれば壁を壊せるかというと…作品が自らストーリーを作り上げるしかない。

原作者の周りはもちろん、原作者も知らないシナリオが出来れば、壁を超えたことになる気がします。

 

 

 

まあ、具体的にどうすれば…とかは無いんですけどね?

強いて言うなら、AIとかですか?でもあれも人工プログラムですよね。

あ、AI同士が会話できるようになれば、ドラマチックなストーリーとか生まれるかもしれないですね。

 

案外、第四の壁って脆いんじゃないかな?…ってね。

嘘です。なんか知らないけど

とりあえず誤りますすんません